検便でがんやうつを発見、カギは腸内フローラ

2016年6月13日(月)

検便するだけでがんやうつの発症リスクが未然に分かり、防げる時代が来るかもしれない。そのカギを握るのが、腸の壁一面にお花畑のように広がる細菌の生態系「腸内フローラ」。ゲノム解析が速く安くできるようになったことで、腸内フローラの未知の力が花開こうとしている。

「あなたの便を調べたところ、半年前に比べて大腸がんのリスクが高まっていることが分かりました。今日からあなた専用にブレンドしたヨーグルトを食べてリスクを下げてください」──。近い将来、こんな未病の発見と治療が可能になる日が来るかもしれない。

 カギを握るのが、人の大腸の中で生きる細菌の生態系「腸内細菌叢」。腸の壁に百種類以上もの細菌がお花畑のように生息することから、「腸内フローラ」とも呼ばれる。構成する細菌の数は100兆個以上。どの種類がどのくらい生息しているかによって、その人の免疫力や脳の働きに影響を及ぼす。脳と腸は自律神経のパイプで直接つながっていて、腸内環境を整えるとうつなども改善できることが分かってきた。

 近年の研究で、具体的にどの細菌がどの疾患と結びついているかが解明されてきた。慶応義塾大学先端生命科学研究所の特任准教授で、腸内細菌に関連するベンチャー企業を2015年3月に立ち上げた福田真嗣氏は、「大腸がんだけではなく、乳がんや花粉症、リウマチ、うつといった様々な疾病と腸内細菌が関係していることを示す研究論文が、世界中で発表されている」と話す。

 腸内細菌と疾患の関連性を解き明かすことができれば、内視鏡やX線といった手間とコストのかかる検査手段を使う前に、検便だけで重大な疾病リスクが分かる。その疾病を未然に防いだり抑制したりする働きのある細菌を食品や薬として摂取すれば、健康状態を保てる可能性がある。

 日本でも、大学や研究機関、食品メーカー、ベンチャー企業がこぞって腸内フローラの研究に乗り出し、研究は一気に加速している。背景には、細菌の種類や特性を解明するのに不可欠なゲノム解析技術の飛躍的な進歩がある。

細菌の遺伝子を丸ごと解析

これまでは、人の便に含まれる百種類以上の細菌の中から1つだけを採取し、抽出したDNA(デオキシリボ核酸)を1種類ずつ解析装置にかけ、種類の特定や特性の解明をしていた。1回の解析で分かるのは1種類だけ。しかも、100兆個のうち80%以上は培養も難しく、解析自体が不可能とされてきた。

 この状況を一変させたのが、米イルミナなどが2000年代後半に開発した新型解析装置「次世代シーケンサー」だ。1種類だけを取り出したり培養したりしなくても、便に含まれるすべての細菌のDNAを一発で解析できる。

世代シーケンサーは進化を遂げ、2012年にはDNA100万基当たりの読み取り費用が0.1ドルにまで下がった。解析にかかる時間とコストが削減できたことで、腸内フローラの全容が明らかになってきた。

 これに伴い、腸内フローラにまつわる新ビジネスが登場している。前出の福田氏がCEO(最高経営責任者)を務めるメタジェン(山形県鶴岡市)は、腸内環境から人の健康状態を評価する新手法を開発した。次世代シーケンサーで腸内フローラを構成する細菌の遺伝子情報を取得し、さらに細菌が排出した「腸内代謝産物」の情報を組み合わせることで、より正確な細菌の機能が把握できるという。

 異なる種類の細菌が同じ特性を持っていたり、同じ細菌でも種類や腸内環境によって異なる特性が発現したりする。例えば、乳酸菌は通常、「良い菌」とされているが、マウスでは、自己免疫疾患を引き起こすものも報告されている。複雑な腸内環境を明らかにするには、複合的な情報の解析が必要だ。

 現在、メタジェンは、研究機関や企業向けに解析サービスやコンサルティングを提供している。2年後には消費者向けの便解析サービスの提供も視野に入れる。「腸内環境が影響を及ぼす体質や疾病のメカニズムを解明し、対策をすることで、『病気ゼロ社会の実現』を目指していきたい」(福田氏)。

 メタジェンより一足先に消費者向け簡易サービスを提供しているのが、2014年11月に設立したベンチャーのサイキンソー(川崎市)だ。便秘に悩んでいる人や「腸活(腸内環境を改善するための活動)」に励んでいる人が自宅で簡単に腸内環境を検査できる。

 検査で分かるのは、「太りやすさ」「腸のタイプ(3タイプ)」「細菌の多様性」「ビフィズス菌などの主要細菌が平均に比べて多いか少ないか」「菌の構成」の5項目。数回にわたって検査すれば、それらの推移も確認できる。疾患リスクまでは分からないが、腸活の成果をデータで確認できる。価格は1回1万8000円だが、同社によると既に1000件以上の申し込みがあったという。

 ベンチャーだけではない。40年以上ビフィズス菌の研究を続けてきた森永乳業も2015年7月、「腸内フローラ研究部」という新組織を立ち上げた。

 ビフィズス菌といえども、たくさんの種類が存在し、特性が異なる。例えば、ビフィズス菌BB536は、大腸がんリスク因子の可能性が高い毒素産生型フラジリス菌を除菌する働きを持つとされている。どのビフィズス菌が、どのような働きをしてどんな菌を撃退するかの解明が進めば、冒頭で紹介したような「ヨーグルトで大腸がんのリスクを低減する」といったことも夢ではない。あるいは、一人ひとりの腸内フローラの状態に合わせて、足りない細菌を補充する「あなただけのヨーグルト」の商品化も可能になる。

 研究を医療に役立てようとする動きも活発になっている。国立がん研究センター研究所は、対象を「大腸がん」に絞り、細菌との関連を調べる研究を進めている。2014年2月から便のサンプルを集め始め、既に1600サンプルを入手した。

 大腸がんは初期の段階で発見できれば高い確率で治療できるとされるが、早期のがんではほとんど症状がなく、発見が遅れることが多い。通常の健康診断で実施される検便でも発見できるが、発見率は2~4%。腸内フローラの解析が進めば、「発見率を今より10倍以上に上げられる可能性がある」(同研究所の難治がん研究分野・ユニット長の谷内田真一氏)という。

 こうした研究が様々な疾患で進めば、「病気ゼロ社会の実現」も不可能ではないだろう。最新の研究では、良質な腸内フローラを持つ人の便を潰瘍性大腸炎の患者に移植することで、治癒したという臨床結果も報告されている。

 従来は「不要な物」「汚い物」として扱われてきた便が、万能の薬となる時代がくるかもしれない。

(日経ビジネス2016年4月11日号より転載)

via:日経ビジネスオンライン